喪失の5段階大切な人を亡くすということは、
人生において言葉では言い難い程の辛さがあります。

それは…、

「自分が変われれば…。」という叶わぬ思いがあったり、
「あの時にもっとありがとう。」と言っておけばという後悔や、
「なぜ私だけ残して勝手に死んでしまったの!」という怒りや、
「もう、二度と会えないんだ…。」という深い悲しみなど、

いろんな気持ちが行ったり来たりして、僕たちを苦しめます。

大切な人が亡くなった時、心は大きなショックと傷を負い、
時に立ち上がれなくなり、乗り越えることなんて到底できそうにありません。

そんな時、喪失による悲嘆によって心がどんな状態になっていくのかを知っておくこと。
これが役に立つ時があります。

喪失というのは、先に述べた通りショックが大きすぎる為、
今まで体験したことがないような深い悲しみや怒りや抑うつ状態など、
様々な気持ちが襲ってきますから、
その気持ちの数々は、喪失をこれから抜けていくプロセスなのだと、
その為に心があなたと一緒に乗り越えようと頑張っているんだと、
そう気づき、そういうプロセスを知っておくこと。

これが時に助けになるのです。

そのプロセスを知っていれば、怒ることも、
そして、死を受け入れられないことも、
深く悲しむことも、抑うつ状態になることもまた必要なプロセスだとわかります。

もちろん、どのプロセスもあなたにとってはとっても辛い事には変わりません。

ただ、怒っていもいいんだと、悲しんでいてもいいんだと、
受け入れられなくてもいい時間があるのだと、そう分かれば、
悲しみを抱えている自分や、怒りを抱える自分や、
受け入れられない自分を過度に責める必要がきっとなくなり、
悲嘆を抱えるあなた自身を少し労わることができると思うのです。

そんな願いを込めて、きっとあなたが亡くなった方が大切だったように、
その亡くなった方にとってもあなたは大切です。
だから、亡くなった方が大切だったあなた自身を、あなたがいたわり、
過度に責めたり傷ついたりしませんように…。

そんな願いを込めて、この記事を書かせて頂いています。
※この記事は主に大切な人を支え、亡くされた方の目線で書いております。

キューブラー・ロスの喪失の5段階

この喪失を説明するには、キューブラー・ロスという方の存在を抜きには語れません。

この方は、ドイツの精神科医でグリーフケア(悲嘆のケア)の第一人者です。

この方は、大切な人を亡くした方のカウンセリングを沢山してきて、
多くの方と向き合ってきました。

その中で、クライアントが喪失から自らを取り戻していくは、
大きく分けて5つのプロセスがあるんじゃないかと考え、
そのプロセスを5段階にわけました。

それが”喪失の5段階説”です。

もちろんこれは、あくまでも自分が喪失体験をした時や、
あなたの身近な人が喪失体験をした時にサポートする際の一つの指針にすぎません。

人はみな違いますから、すべての人がこのプロセスを順に通るということではなく、
順番も逆になることもありますし、3段階目から始まる人もいると思います。

喪失体験はごく個人的な体験で、人によりその過程も違いますから、
喪失によってあなた自身や、そして喪失を体験した周りの方に、
どんなことが起きているのか?ということを理解し、
それに対処してく為の一つの指針です。

それを考慮して、あなたの為に役に立つ部分を選んで読んで頂けたら幸いです。

※より詳しい説明が必要な方は、キューブラー・ロス、デーヴィット・ケスラー共著「永遠の別れ」を読んでみてください。
この5段階もこの本を参考にしています。

それでは、一つひとつご説明していきます。

1:否認

これは5段階目の最初の段階です。

心はいつもあなたの味方です。
あなたがいつも安心して、穏やか過ごせるようにいつも協力してくれています。

ショックが大きすぎる出来事が起きた時に、
僕たちの心は、過度なストレスを受けて心が壊れそうになってしまう事があります。

心が壊れてしまうと、あなたが自分を保てなくなってしまうので、
それ以上のショックを受けてあなたが壊れてしまわないように、
心は気持ちを感じなくさせるか(無感覚)、
その出来事を否認します。

なぜなら、その出来事自体を認めるのは、
今のあなたにとって心に負担が大きすぎるのです。

だから心は、大切な人を亡くした時に、そのことを否認するのです。

大切な人が亡くなったという事は頭のどこかでは分かっていても、
いつもの時間に家に帰ってきても、あの人がいないということが、
どうしても信じられないのです。

もう少ししたら、帰ってくるはずだ。
何で昨日までいたのに?
本当に死んでしまったの?あのドアを開けたらほらいるんでしょ?

と、そう思って、現実を疑う気持ちが出てくるのも否認です。
否認したくなるのも当然です。

だってついほんの少し前まで、ずっと一緒にいて、
笑ったり、喧嘩したり、空気のように当たり前にいた、大切な人がいなくなるのですから。

信じられなくて、受け入れられなくて当然です。

それは、あなた自身もあなたの心も同じなのです。

ただ、こころはわかっています。
もういないんだって。
でも、今はまだそれに向き合うだけの準備がまだ整っていない為、
あなたを守る為にも、気持ちを鈍らせ、そして否認をしているのです。

認めたくないのは、ごく自然な心の働きなのです。

何が何でも、死と直面することが良いことではないのです。
向き合うには、あなたなりの時間と準備がいるのです。

どうぞ丁寧に時間をかけてください。

そして、この「否認」の段階も終わりが近づいてくると、
どうしてそうなってしまったのか?
という事実を理解しようという気持ちが湧いてきます。

なぜ、あんな出来事が起きてしまったの?
原因は何だったのか?
どうやったら防げるのか?

といったように、事実を究明しようとする気持ちが湧いてきます。
しかし、そうすると今まで急なショックにより、こころが感じないようにしていた、
喪失に対するいろんな気持ちが湧き出てきます。

何が起きたのかに目を向けるということは、
今まで見ないようにしてきた事実に目を向けることでもあり、
その事実の背後にあったあなたの気持にも目を向けていくことです。

その中に「怒り」の気持ちがあります。
そう、次の段階はこの「怒り」です。

2:怒り

先ほど説明した通り、何が起きたかに目を向けることは、
今まで否認することで見ないようにしてきた気持ち、
つまり蓋をしていた気持ちにも目を向けることですから、
気持の蓋が少しずつ、時に急に開き、
悲しみ、孤独、パニック、後悔、絶望などの様々な気持に襲われます。

その蓋の中から出てきた気持ちの中で、一番激しい気持ちが怒りです。

■相手への怒り
・なぜもっと早く話してくれなかったの!
・いつもあなたは自分勝手だった!
・なぜあんなことを私にしたんだ!
・何で私だけ取り残して先に逝くの!

■自分への怒り
・なぜ変化に気づいてあげられなかったんだ…。
・あの時私が誘いを断らなかったら…。
・なんであの時怒鳴ってしまったんだろう…。
・もっと愛をもって接すればよかったのに、なんで自分は…。
・愛してるってもっといくらでも言えたはずなのに!

■第3者への怒り
・医者がもっと適切な処置をしてくれていれば今頃!
・何であんなに真面目な人が死んで、あの人は生きているの!
・あの時ちゃんと検診してくれていれば!
・あの人が飲みになんて誘わなければ、今頃の主人は…。
・会社がもっと休みをくれていれば…。
・もっと安全確認を徹底していれば…。

なんで自分だけに!
なんであの人だけにこんなことが起るの!
人生はなんて残酷なんだ!救いはないのか!

喪失という避けられないけれど、起きてしまったどうしょうもない体験に対して、
その気持ちを何とか解消しようとして湧く気持ちが怒りですから、
湧いてきて当然の気持ちなのです。

また、この怒りは、一般的に健全ではない気持ちだと判断されがちですが、
そんなことはありません。

もちろん、日常生活において、あからさまに怒りを出してしまうと、
例えば喧嘩になってしまったり、相手を傷つけたり、暴力になったりと、
適切でない場合は多くあります。

ただ、喪失という受け入れがたく、苦しく、悲しく、
辛い体験によって怒りが生じるのは、自然なのです。

そしてこの怒りが湧いてきたということは、
前進してきたという一つの証でもあるのです。

なぜなら怒りの背景には、喪失に関する様々な気持ちが隠れていて、
怒りを感じて、怒りを出していくと、その怒りに隠れていた
悲しみ、孤独、寂しさ、などの痛みが出てくることがあるからです。

従って、怒りが湧いてきた時に大切なのは
その怒りを感じて、怒りを出すという事です。

誰かにあたったり、物にあたったりすると、
相手も自分も傷ついてしまい、引いては関係そのものすら壊れてしまうことがあります。

その為、一人で誰も傷つかない方法で吐き出すことが大切です。

例えば、
一人部屋でふとんをかぶり思いっきり叫んでみたり、
タオルを、枕や布団にぶつけて、怒りを出す、
紙に自分の気持ちを書きなぐって、捨てる。
走ったり、スポーツをしたり、とにかく体を動かして、
そのたまった怒りというエネルギーを出すという”行動”が大切です。

感情というのは、思考、つまり頭で考えてもほとんど解消はしません。

行動によってはじめて解消するのです。

安全な方法でその怒りを吐き出すことをお勧めします。

そして、怒りを感じ、怒りを吐き出していくと、
その背後にあった悲しみや痛みが出てくることがあります。

失ってしまった取り戻す事ができない大切な人の存在
失ってしまった愛する人との繋がりや愛

そのつながりや愛が大きければ大きい程、
その悲しみや寂しさは強くなりますが、
時間をかけて悲しみや寂しさにひたり故人を悼んでください。

3:取引

大切な人が死の淵にいる時に、
「神様、もう何でもしますから、悔い改めますから、だからあの人を助けてください。」(ご家族)
「何でもしますから、だから私を助けてください。」(ご本人)
といって、神様と「取引」をする段階がこの段階です。

そして、多く場合は
「もし、あの時に~をしていたら、そうしたら今頃…」
といったように、後悔や罪悪感を生じさせ、私たちを苦しめます。

▼ご本人のお気持ち

「もし、許されるなら今からタバコも辞めるし、家族にもやさしくする。だから…。」
「もうお金もいらないから、仕事も辞める生活も改善する。だから…。」

▼ご家族のお気持ち

「最新の医療を受ければ、まだ可能性がどこかにあるはずだから、だから…。」
「これからは、毎日一生懸命支えるから、だからあの人だけは…。」

こういった”もし”や”取引”というは、喪失の痛みから一時的にでも離れさせてくれます。

もし~すれば、こう生きることができる。
~しさえすれば、この先も家族と過ごせる。

という思いの中にいる事で、大切な人がいなくなる現実から、
この世を去る現実から目を背ける事が出来ます。

それによって、その痛みを直に感じることを避け、
その痛みを少しでも感じなくて済むのです。

キューブラーロスはこれを執行猶予という表現で語っていますが、
これも死というとてつもなく大きな脅威と向き合う負担を少しでも、
心が減らしてくれようとしている働きなのです。

そして、この執行猶予がある為に、死という現実に対して、
人は、受け入れていく時間ができ、受け入れる準備が出来るのです。

そして、この取引をいくら繰り返しても、
悲しい事ですが、私が亡くなる、愛する人が亡くなる、愛する人が亡くなったという事実は変わりません。

いくら取引をしても、もうどうしようもないと気づいていきます。

それに気づくということは、もうどうもがいても”死”という現実が変えられないことを意味し、
生きる気力が一時的になくなります。

それもそのはずです、希望が無くなってしまったかのように感じますし、
死というとてつもなく大きなテーマと向かい合うのですから…。

4:抑うつ

取引をしても、どうしようもないということは先に述べたように、
もうどうもがいても”死”という現実が変えられないことを意味します。

ご本人にとっては、どうやっても私はもう…。
というその現実と向き合うことです。

支える家族にとっては、これから迎える大切な人の死という現実と向き合うことであり、
もう愛する人はなくなってしまった方にとっては、いくら頑張っても、
悲しんでも、怒っても、帰ってこないんだとそう気づくことを意味します。

より深い深い悲しみが訪れて、引きこもり、
誰とも会いたくなくなります…。それも当然です…。

大切な人が亡くなっているのに、なぜ自分は生きているんだろうか。
なぜ自分はここにいるんだろうかと、
生きている意味すら、この場所に存在している意味すらわからなくなる。

笑う事の意味も、働く意味も、人生の意味も、
健康でいる意味も、誰かと話したり、
世の中の動きを見る為に新聞やニュースを、TVをみる気力すらわかず、

その場から動く事すら、辛い。

胸にぽっかりと穴が開いて、
虚しさや、切なさが急に訪れ、涙にくれ、
一人孤独を感じ、人生から引きこもる。

大切な人を亡くしたのですから…、当然です。

前を向く気持ちが起きるまで、ゆっくり時間をかけて下さい。
いつまで悲しんでいるのという人がいても、
気にしないでください。

その人は善意から言ってくれていますが、
前を向く時間は本当に人それぞれなのです。

しさについて。

その深い寂しさは、自分の半身がそがれたかのような、
自分の体の一部がぽっかりと失われてしまったような、
そんな気持ちがあって、その失われしまった方とのつながりを、
いつだって感じたくて、寂しい気持ちがあらわれています。

寂しさは、つながりを感じたい気持の表れです。
その方とのぬくもりを感じて、安心したいのです。

だから、幸か不幸か心は何度だって寂しさを感じさせます。

写真を整理したり、思い出話をしたり、
故人とのつながりを心の中で感じて下さい。時間をかけて。

肉体的なつながりは失われしまったけれど、
その寂しさは、こころの中で故人とのつながりがあることを、
いつだって思い出させてくれるはずです。

そう心の中のつながりはいつまでもなくならないのです。
手放しには言えませんが、ご自分のペースで丁寧に寂しさを感じて下さい。
その度に、何度だってその方との繋がりを心の中で感じるはずですから…。
それも故人を悼むことなんじゃないかと僕は感じています。

る気が起きない。

喪失最中にいる時に、前を向く気力何て湧いてくるわけがありません。

悲しくて、苦しくて、痛くて、寂しくて、孤独で、
涙が止まらなくて、何もやる気が起きないんです。

当たり前です。

故人を悼むプロセスが抑うつです。

思う存分、閉じこもって下さい。

ただ、あなたがそれほど大切だったように、
その大切だった人も、あなたのことをとてもとても大切だったのですから、
どうか自分を傷つけたりはしないでください。

故人が大切に思っていたあなたを大切にしてあげてください。

状況が許すのであれば、やる気が起きるまで、何もしないことを自分に許してあげてください。

時に大きな悲しみがあなたを襲ってくると思います。
そんな時は、思う存分涙を流して下さい。

その生きれなかった人生に思いを馳せて、
一緒に生きれなかった人生にも思いを馳せて、
一緒に味わいたかった喜びや、笑いたかったこと。
伝えたかったことにも、思いを馳せて…。

先に逝ってしまった憤りすらも感じる時もまた来るでしょう。

気持の波が襲ってくる時もあります。
一人でどうしようもない時、あなたには助けが必要です。

友人や家族に傍にいてもらってください。
誰かを頼って下さい。
あなたは一人で生きているわけではないのですから。

人生の深く暗い底に一人いるように感じるかもしれませんが、
顔を上げればいつだって手を差し伸べてくれる人がいることにきっと気づきます。

ただ、顔を上げれるその時まであなたのペースでどうか時間をかけてください。

5:受容

深く暗い底の悲嘆の中を一人で進んでいくと、
ふと、その深い悲しみの中にあるもの大切な気持ちに気づく瞬間がきます。

その瞬間は、突然訪れ、それは悲嘆の終わりを告げる合図あり、
抑うつから受容の段階へと移る時でもあります。

この段階は、死を受け入れ、
もうその死が取り戻せないことを受け入れ、
大切な人と過ごすはずだった未来をあきらめ、
その死と共に訪れた、新しい現実と共に
歩いていくという決意するということでもあります。

それは、その大切な人と一緒にいる私という自分に別れを告げ、
大切な人はこの世にはいなくなってしまったけれど、
私の心の中にはいる。

そんな私と歩んでいくことでもあり、
心の中にいる家族や友人と共に歩んでいくことでもあり、

先に逝ってしまった愛する人が、
自分に残してくれたものや気持ちに気づき、
どれだけ自分は愛されて、大切にされていたのか、
そしてどれだけ愛していて、大切にしていたのか、
というその愛に気づき、受け入れ、そんな気持ちとも共に生きることです。

しかし、受け入れるのは”勇気”がいります。

とってもエネルギーがいります。

そして、覚悟もいりますから、
そのエネルギーが湧くまで、覚悟ができるまで時間をかけて下さい。

まとめ

これまで喪失の5段階をご説明してきましたが、
実際にこのように簡単にプロセスは進んでいくのか?というと、
そうではありません。

この悲嘆の5段階のを行ったり来たり、時に進み、時に戻りながら、
あなた独自のプロセスを経て、人は悲嘆を受け入れて、乗り越えていきます。

動いてないと心が落ち着かない時があります。
そんな時は、その心のままに動いてください。

それは逃げているわけではなく、まだじっくりと向き合うタイミングじゃない。
ただそれだけのことです。

逆に何もやる気がない時は、何もしないでください。
心があなたを休ませようとしてくれているのです。
再び歩み始めるその時の為に。

悲しみに暮れるあなたを見ると、
周りの人は励まし、前を向かせようとします。

「いつまでも悲しんでないで…。」と。

その言葉は、その言葉を言った傍で見ているその人も辛いからそういっているのです。

でも、辛いのはあなたも一緒です。
そして、いつその悲しみが終わるのかを知っているのは、あなただけです。

どのくらいの時間を掛ければいいのかを知っているのは、あなただけなのです。

前を向こうと、乗り越えようと決めていいのも、あなただけなのです。

世の中には予期せぬ出来事が起きます。

どんなに真面目に生きてきても、何も悪い事もしてなくてもです。

世の中は、どうやら不平等なようです。
それがある意味平等なのかもしれません。

でも、その死はあなたのせいでも、誰のせいでもありません。

僕にもあなたにもいずれやってくる、
死や喪失という大きなテーマをあなたが乗り越えられますように。

また、ほんのちょっとでも歩きはじめられますように。

そんな願いを込めて書かせて頂きました。

最後に。

その大きなテーマと向き合う上で、もし支えが必要な時がきましたら、
その時は力になれれば幸いです。