喪失による罪悪感

人の死と罪悪感。

大切な人が亡くなった時。

「こうしておけばよかった。」

「あの時、なんで引き止めなかったのか…。」

「あの時、もっと○○していればきっと今も…。」

そんな後悔と、

「なぜ、あの時気づいてあげれなかった…。」

「なぜ、あんな酷いことを言ってしまったんだ。」

という自責の念と罪悪感が湧き上がってきて、

私たちを苦しめます。

 

「あの時は、ごめんね。」と、

もし今も大切な人が生きていれば、

謝ることができますが、

死んでしまった今、それもできません。

 

だからこそ、その後悔や、自責の念や、罪悪感は、

私たちを余計に苦しめます。

 

そして、今回はこの罪悪感に関して少しお話をしたいと思います。

悪感について。

罪悪感があるのは、故人の死を自分のせいだと感じているからです。

そして、そんな自分を許すことができないのです。

 

「もっと何かできたはずだ。」と、そんな思いが駆け巡り、

そして、そのもっとできたはずの事に思いが向き、

それが出来なかった、気づけなかった自分を罰する気持ちが罪悪感です。

 

自死をした方の遺族の方のカウンセリングをすることがありますが、

遺された方は、大きな大きな重荷と、十字架を背負っています。

 

「なぜ死んでしまったのか?」

「私の何が悪かったのか?」

「どうすればよかったのか?」

 

そんな答えのない問いと、急にこの世から大切な人がいなくなってしまった。

しかも、自ら死んでしまったという現実と直面することは、

私なんかでは想像できないほどの深い痛みと、苦しみがあるのだと毎回感じます。

 

話を聞いていると、その十字架を背負った痛みを。

そして、その十字架を下ろしてもいいのではないかと、

感じる瞬間があります。

悪感を軽くしていくには、現実検討を。

この罪悪感は、誰から教わったり、言われたり、

世間一般で良しとされるものに反していたり、

自分なりの内的基準と照らし合わせていたりと、

不合理な認知が多いのです。

 

もっとこうできたはず、

あの人ならこうしていたはず、

という認知も、果たしてその時に本当にできたんだろうか?

本当は、出来る限りのことをしていたのではないだろうか?

ということを現実的に検討する(吟味)ことが時に大切になります。
(時に大切になりますというのは、この現実を吟味するにも、心の準備がもちろん必要だからです。だから、準備ができたらという前提でお話を進めさせて頂きます。)

 

その為、カウンセリングにおいては、

時期がきたらその罪悪感を生み出している認知に対して、

吟味していくことで、少しずつその罪悪感を軽くしていく取り組みをしていくことがあります。

 

ただ、あなたが抱えている罪悪感や十字架は、

あなたが降ろそうと思わない限り、残念ながら降ろすことはできません。

 

自分を責め続けることや、罪悪感を持つことは当然だと、

今は、それを引き受けることを「許すこと」より選択することもあるのです。

 

それは、罪悪感を持ち、自分を責め、罰していないと、

自分だけ生きていることに申し訳なく感じ、生きていけないと感じる時も。

自死をした人を責めるくらいなら自分を責めるという時も。

自分を罰し、全ての事に心閉ざし、故人がきっと感じていたであろう

その痛みを感じることで、その痛みを引き受け償おうとする時もあるからです。

 

私は、そんな時期も大切だと感じています。

 

ただ、もしあなたの中で「自分を許したい」気持ちが湧き上がってきたら、

その十字架を下ろすタイミングではないかと感じています。

 

その時は、その罪悪感と向き合い、吟味(現実検討)することや、

故人に対して許しを求めることが大切です。

亡くなったとしても、その時に言えなかったことや、

出来なかったことを今言葉にしたり、

手紙にしたためることで、許しを求めることは今からだって出来るのです。

 

必要以上に苦しみを感じ、自分を罰し続けることはないんじゃないかと私は感じます。

そして、きっと故人もそれを望んでいないのではないかとも感じます。

 

とはいえ、自分を許すにも、そんな自分と向き合うにも、

やはりとても勇気と力がいります。

 

 

 

許さなければいけないものではありません。

 

だからこそ、許そうと思えるようになりましたら、

どうぞお話にいらしてください。

丁寧にそのお気持ちを聴かせて頂き、そのサポートが出来たら幸いです。

  著者プロフィール

野川 仁
野川 仁

元引きこもりの心理カウンセラー。

現在は、都内のクリニックでカウンセリングをする傍ら、講師として、毎週(土)横浜で講義を行っている。