になること。

大切な方を亡くした方のお話を聞かせてもらって感じることがあります。

それは、楽になることは必ずしも必要ではないのかもしれない。

ということです。

 

支える方にとったら、目の前で深い深い悲しみを抱えている人を見たら、

手を差し伸べたくなります。

 

そして、その悲しみが少しでも軽くなるように援助したくなります。

 

でも、ご本人にとったらそれは余計なお節介である場合もありますし、

その悲しみは、大切な人との繋がりであり、

その自分を責めるお気持ちや、あの時こうしておけばというその後悔も、

今はまだ持っていていいと、そう感じる場合もあるのです。

 

何かをしなくちゃ。

楽になった方がいいだろう。

 

というのは、支える側のエゴかもしれないなと、

たまに思うことがあります。

 

楽になることがすべてではない。

たとえ苦しくても、その悲しみを、その後悔を、自分を責める気持ちを

”今”は持っていてもいいと、まだ癒す必要はないと、

そう感じる時もあるし、あってもいいのだと感じるのです。

 

そして、それを引き受けることを決めた勇気と、

その愛に僕は、ただただ頭が下がる思いです。

 

喪失という人生において一番大きなテーマと向き合う過程は、

その重荷をときに感じながら、降ろしたいと思えるその時まで、

自分と丁寧に付き合っていく過程なのだと感じます。

 

そして、それに付き合う私たちは、

その重荷に圧倒されている時に、

その気持ちを受け止め、

その重荷の中にある、

確かに故人が残してくれたものを受け止められるように、

時に援助し、

時に共に立ち止まり、

時に一緒に人生を振り返り、

時にその孤独と一緒に向き合い、

時に人生を共に愁い、

時に進もうとするその気持ちや、

進まなくて今はいいという大切な気持ちに寄り添う。

そういったことしかできないかもしれないなと、

最近は感じるのでした。

  著者プロフィール

野川 仁
野川 仁

元引きこもりの心理カウンセラー。

現在は、都内のクリニックでカウンセリングをする傍ら、講師として、毎週(土)横浜で講義を行っている。