何もしない勇気

もしないという勇気

私たちは、深い悲しみの底にいる時や、

どうしようもなく寂しさを感じる時、

何とかしなくちゃとそう思います。

 

ただ、大切な人を亡くした場合は、

必ずしもそうでない時があるのだと、

そう私は教わったように感じることがあります。

 

彼女や彼に振られたり、

酷いことを言われたり、

そうやって傷ついたり、

寂しくなったりするのと、

大切な人を亡くして感じる悲しみや寂しさは、

少し違うものなのだと、そう最近気づいたのです。

 

気持ちは同じだけれど、

その中身は少し違うのだと気づいたのです。

 

何が違うかは後述するとして、

私たちは悲しみや寂しさを抱えた時に、

当然すぐに何とかしようとします。

 

それは、やっぱりとっても辛いからです。

 

悲しみや寂しさを感じた時や、

苦しい気持ちを感じる時、

その辛さから私たちは、

癒しを求めるのです。

 

勿論、当然な気持ちなのですが、

大切な人を亡くした時に感じる寂しさや悲しみに対しては、

必ずしもそうは思いません。

 

むしろ、進んでその気持ちをそのままにしておくこともあります。

 

悲しんでいたいわけでも決してありません。

ただ、その悲しみが故人とのことを悼む気持ちであることをわかっているのです。

 

寂しさを感じていたいわけでは決してありません。

ただ、その寂しさが故人との繋がりであるとわかっているのです。

ただ、今はその寂しさをそのままにしていてもいいと感じているのです。

 

上手く表現できませんが、

その悲しみも、寂しさも、怒りも、

それはすべて今は亡き大切な人との繋がりであり、

その方が生きていた証なのです。

 

だからこそ、すぐに癒したり、

何かをしたりすることをよしと感じないことがあるのです。

 

何でもかんでも癒せばいいものでも、

何でもかんでも楽になればいいものでもないのです。

 

私たちが悲嘆に暮れる時、

何もしないという勇気を持つことが大切な時もあるのです。

 

悲しみに身を任せ、

寂しさに身を任せ、

怒りに身を任せ、

何とかしようとしない勇気を持つことが大切な時があるのです。

 

何もしないということは、

何とかしようとしないこと。

 

僕たちは何かをしていないと、

そわそわして恐怖を感じます。

何もしない時、

それは自分と向き合う時だからです。

 

そう、何もしないとは、

そんな一人の自分と対峙することであり、

とても勇気のいることです。

 

何かをすることよりも、

何もしないことの方がずっと勇気がいるのです。

 

だからもし、あなたが今何にもしてない。

前を向こうとも、癒そうともしてないとしても、

どうか自分を責めないでください。

 

何もしないということを選んだご自分を、

今はそのままにしておくことを選んだご自分を

どうか大切になさってください。

 

  著者プロフィール

野川 仁
野川 仁

元引きこもりの心理カウンセラー。

現在は、都内のクリニックでカウンセリングをする傍ら、講師として、毎週(土)横浜で講義を行っている。